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東京地方裁判所 昭和29年(ワ)6660号 判決

原告 山本春雄

右代理人弁護士 松本全一

被告 渡辺新次

右代理人弁護士 世良田進

主文

原告と被告との間の東京法務局所属公証人玉井忠一郎作成昭和二九年第三七九号債務弁済公正証書の執行力ある正本に基く強制執行は許されない。

訴訟費用は被告の負担とする。

本件ついて当裁判所が昭和二九年(モ)第九七六七号同年七月一日為した強制執行停止決定を認可する。

前項に限り仮に執行することが出来る。

事実

原告訴訟代理人は主文第一、二項同旨の判決を求め其の請求の原因として、

一、原告は昭和二十八年九月三十日被告から金十万円を利息一ヶ月八分、弁済期同年十月末日の約定で借入れることとし一ヶ月分の利息金八千円を天引されて金九万二千円を受取つたが、右弁済期日に更に一ヶ月分の利息金八千円を支払つて弁済期を同年十一月三十日まで延期したが、その後原告は、右借受金の支払をすることが出来なかつた。

二、そして本件借入の際原告は被告に対しその要求に従つて白紙委任状に署名捺印し原告の印鑑証明と共に交付したのであるが被告は右白紙委任状を濫用して原告の承諾なしに訴外板橋正次を原告の代理人として右委任状を使用して昭和二十九年二月十三日東京法務局所属公証人玉井忠一郎に委嘱して本件公正証書を作成した。そして右公正証書の記載によると原告は昭和二十八年九月三十日被告から借受けた金十万円及び之に対する昭和二十九年二月十三日までの損害金三万七千五百円以上合計金十三万七千五百円を同年同月十七日までに支払うこと原告が右金員を期日までに支払わないときは完済に至るまで日歩五十銭の割合による損害金を支払うこと、原告が右債務を履行しないときは直ちに強制執行を受けることを認諾した等の条項がある。そして被告は右公正証書の執行力ある正本に基いて原告所有の不動産について強制競売の申立をした。然し乍ら原告は被告に対し右公正証書記載のような契約をしたこともなく従つて右契約に基いて公正証書を作成することを委任したこともない。故に虚偽の内容を記載した本件公正証書は無効でありこれに基く強制執行は無効である。

三、仮りに原告が被告に対し右白紙委任状を交付することにより代理人の選任を委任したとするも原告の代理人となつた訴外板橋正次は、被告の委任をうけて原告に対し本件貸金の督促等をしていた者であるから本人たる原告の利益を考慮する余地がなく被告のいうまま本件公正証書を作成したのである。そうすると民法第一〇八条の趣旨により訴外板橋正次は原告の代理人でなく従つて無権限者により作成された本件公正証書は無効でありこれに基く執行は許されない。

四、然らずとするも前記日歩五十銭の割合による損害金の特約は原告の無知、窮迫に乗じなしたものであるから右特約は民法九〇条により無効である。

そして原告は昭和二十九年五月二十六日頃被告に対し借入金元本十万円及び利息一万円を弁済のため現実に提供したが、被告は之が受領を拒絶したので同年六月三〇日原告は現実に借受けた金九万二千円とこれに対する利息制限法所定の年一割の一ヶ月分の利息金七百八十一円との合計額を元本としこれに対する昭和二十八年十二月一日から昭和二十九年六月三日まで右割合による損害金四千六百六十三円を加え、合計金九万七千四百四十四円を東京法務局に弁済のため供託した。よつて被告の債権は全部消滅したから本件公正証書に基く執行は不法であると述べ、

被告の主張事実を否認し、

立証として甲第一乃至第八号証を提出し甲第七号証のうち原告の署名捺印を除く部分は被告が勝手に記載したものであると述べ証人加藤茂雄同渡来広の各証言及び原告本人尋問の結果を援用した。

被告訴訟代理人は請求棄却の判決を求め答弁として被告が原告に対しその主張のように金十万円を貸与したこと、原告が二ヶ月分の利息を支払つたのみであること原被告間に原告主張の本件公正証書が作成されたこと、右作成に際し訴外板橋正次が原告の代理人であつたこと被告が原告主張の強制競売の申立をしたこと及び原告がその主張の日その主張の金員を供託したことは認めるがその余の事実は否認する。昭和二十九年二月十三日原被告は損害金額を三万七千五百円と協定し、当日の原告の債務額を金十三万七千五百円、弁済期日後の損害金を日歩五十銭と定めて公正証書を作成したものである。又原告の代理人たる訴外板橋正次は原告から詳細了解を得て直接委任状の交付をうけたものであるから原告の主張は理由がない。又原告は昭和二十九年六月三日金九万七千四百四十四円を弁済供託したが右供託金額を控除しても同日現在で原告の残債務は尚金十一万七百七十二円である。従つて原告の本訴請求は失当であると述べ、

立証として証人楠本進同板橋正次の各証言及び被告本人尋問の結果を援用し甲第一乃至第六号証及び同第八号証は成立を認める。甲第七号証は真正に成立したものであると述べた。

理由

被告が原告に対する本件公正証書の執行力ある正本に基いて原告所有の不動産に対し強制競売の申立をしたこと及び本件公正証書に原告主張のような条項が記載されていることは当事者間に争がない。

原告は右公正証書の記載は無効であると主張し被告は之を争うから判断する。

原告が被告から原告主張の約定で金十万円を借受けたこと及び原告が之に対し二ヶ月分の利息を支払つたのみで残余の支払をしなかつたことは当事者間に争がない。そして成立に争のない甲第八号証に証人加藤茂雄同渡来広の各証言及び原告本人尋問の結果並に証人楠本進の証言と被告本人尋問の結果の各一部を綜合すると原告は右借受の際その印鑑証明(甲第八号証)及び署名捺印ある白紙委任状(甲第七号証)を被告の要求により被告に差し入れておいたが、原告は前記のように二ヶ月分の利息を支払つたのみで其の後の支払をしなかつたので被告は昭和二十九年二月前記印鑑証明及び白紙委任状を使用し訴外板橋正次を原告の代理人に選任し同人と既存の前記債務について弁済契約を結び同月十三日公証人玉井忠一郎に委嘱して右弁済契約の趣旨に従つて本件公正証書を作成したことが認められ右認定を覆す証拠はない。以上認定した事実によると原告は本件貸借の際もし原告が借受金の支払を怠つたら被告において任意に第三者を原告の代理人に選任しこれと右借受金債務について弁済契約を結び且つ前記書類を使用して右契約上の債務について公正証書を作成しこれによつて強制執行をうけても異議がないことを約諾したものと謂うべきである。ところで公正証書を作成するについて相手方に代理人の選任を一任することが出来るけれども所謂双方代理禁止の法意によつて両当事者間に新たな利害関係を生ずるものでなく既存の法律関係を決済するに止る場合に限るものと謂うべきである。本件について謂えば債務者たる原告の代理人に選任された訴外板橋正次の代理権の範囲は原告が被告に対し既に負担している債務の弁済に関し原告が当然その責に任ずべき限度において単に履行の方法を定めるに過ぎず換言すれば代理人自身が改めて契約事項について本人のため商議協定をなすべき裁量の余地が存しないものと謂わなければならない。従つて債務弁済契約及び之に基く公正証書記載債務額、弁済期、利息、期限後の損害金の日歩の数額等については当事者間に特に予め約定された事実がない限り原被告間に現実になされた従前の金員貸借契約の約定によるの外は将来の商議協定によらざるを得ないわけである。ところが前記甲第七号証の委任状に記載された弁済契約の特約事項及びその趣旨に従つた本件公正証書の記載によると原告の債務額は昭和二十八年九月三十日借受の金十万円及び之に対する同年十二月一日から昭和二十九年二月十三日までの日歩五十銭の割合による損害金三万七千五百円を加算した合計金十三万七千五百円で弁済期は同年同月十七日、期限後の損害金は日歩五十銭となつていて右条項は当初の約定に比べて原告の責任を著るしく加重したものであつて単に既存の弁済についてその履行の方法を定める範囲をはるかに超えたものと謂うべきである。被告は本件公正証書作成前予め原告と弁済契約の条項について協定したと主張するけれどもこの点に関する証人楠本進同板橋正次及び被告本人の各供述は証人加藤茂雄、同渡来広、原告本人の各供述に比べて措信出来ず他に右主張を認める証拠がない。

そうすると前に説示したように前記弁済契約従つて之に基いて作成された本件公正証書記載の約定は双方代理禁止の法意に反する無効のものと謂わざるを得ない。

よつて本件公正証書の執行力の排除を求める原告の本訴請求は他の判断をまつまでもなく正当として認容し民事訴訟法第八九条第五六〇条第五四八条を適用して主文の通り判決する。

(裁判官 花渕精一)

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